「やばくなったら逃げる」緊張が走る北朝鮮国境地帯 目的のテープを受け取ったその時・・・

世紀のスクープを伝えた特派員の記録

カテゴリ:ワールド

  • 出国禁止になったMr.Xの代わりに中朝国境地帯にテープを取りにいくことに
  • 北の反体制派からのメッセージは「蜂蜜の瓶の中に隠す」
  • 手ぶらでは帰れないと思ったその時・・・

「やばくなったら逃げる」

中国・丹東駅 金正日総書記が北京からの帰途に寄った

韓国から中国に行くのにはビザが必要だったが、ビザはあることはあった。

当時は、金正日元総書記が中国を電撃訪問することがあったので、僕を含むソウル支局のスタッフは数次の観光ビザを持っていた。すぐには取材ビザが降りない国だから観光ビザで入国し、表に出ない範囲の「取材の手伝い」をしていた。

2004年、金正日総書記が北京を訪問した時のことだ。総書記が乗る特別列車を、あわよくば本人の姿を撮影しようと丹東駅で北京支局の特派員と一緒に待ち構える取材をすることになった。ところが、中朝国境にかかる鉄橋を撮影できるホテルはすでに中国当局が手を回し宿泊できるのは中国人スタッフのみ。僕と北京支局の特派員は丹東の駅前広場に未明まで張り込み列車の到着を待った。

今回のハノイ行きで金正恩委員長も通過した

僕は観光ビザしか持っていないので、中国の公安に資格外活動で拘束される可能性があるので、「やばくなったら逃げる」というのが事前の打ち合わせ内容だった。それらしい列車が来た瞬間。北京特派員と僕は、ビデオカメラを回し始めた。ところが、広い駅前広場の四方八方から僕らの方向に走ってくる人影が見えた。

「僕は消えるから」という言葉を残しタクシーに乗り込み日本人でも泊まれるホテルに向かった。横目で、北京特派員が10人ほどの公安?と思しき男たちに囲まれる姿が見えた。結局、この北京特派員も無事だったのだが、彼を囲んだ男たちは北朝鮮の関係者だったようで、映像の撮れていないテープを差し出すと満足して帰っていったという。

丹東駅前の毛沢東像

メッセージは蜂蜜の瓶に隠して

話が逸れたが、僕はソウル支局の上司に事情を話してソンジン氏の代わりにテープを受け取るために翌日、延吉に向かった。

延吉には3回行ったことがあった。

テープを受け取りに中朝国境の延吉へ

最初は、韓国の反北保守団体から、北朝鮮国内の反対勢力からのメッセージが国境を越えて来るという情報提供に基づくもので、受け渡しの瞬間が撮影できるという。この時、中国と北朝鮮の国境の川までいくつも検問所があり、厳しく統制されていることを知った。結局、受け渡しの瞬間を撮影するに至らず、メッセージを確認したのは延吉に戻ってから。メッセージは蜂蜜の瓶に隠すという手の込んだものだったが、真偽を確認するには至らなかった。

中朝国境地帯の警備は厳しい

 2回目は、北朝鮮の崩壊に備えての拠点の確認。韓国文化放送の記者が留学名目で滞在していたので、彼を訪ねて行った。犬鍋をごちそうになったのを憶えている。翌日、この記者に誘われ、延吉でゴルフ場に行ったが、韓国資本のそのゴルフ場は一応18ホールあったが、ゴルフ場というよりは難民キャンプを作るための土地のような所だった。

北朝鮮有事の際の緩衝地帯となる町という印象を受けた。

そして、延吉日報という地元新聞の記者と接触し、有事の際の協力を求めた。と言っても、一緒に飲み食いしただけ。有事もなく、異動の際に後任に引き継いだが自然消滅したようだ。そして、北京事務所のスタッフの親戚の家のADSL回線から映像が送れるかのテストも行った。

橋の向こう側は北朝鮮 中国・図門

3回目は、中朝国境地帯の取材、先の北京の事務所のスタッフの親戚が、延吉の裁判所に勤務していて、裁判所の車で立ち入りが制限されている地域まで入っていった。裁判所の車というだけで、検問はフリーパスだった。また、延吉大学に留学している日本人が数人いるのを確認した。1人はNHK志望の女学生、あとの2人は中年男性。女学生を食事に呼び出し、一緒に男性2人もつれてくるようにお願いしたが、日本政府と関わりの深い秘匿の仕事をしているのか、接触を拒否された。NHK志望の女学生は、その後、無事に入社できただろうか、なかなか見どころのある学生だった。

いずれの訪問も、北朝鮮の体制崩壊に備えるためだった。

中朝国境地帯にテープを取りに行くというミッション

このように、ある程度知っている延吉だったが、初対面の人物と中朝国境に近い場所で会いテープを受け取ってくるというミッションに少々緊張していた。

延吉市内のホテルで男と待ち合わせ

キムソンジン氏から会うように言われた朝鮮族(朝鮮系中国人)の親戚とは、延吉市内のホテルで待ち合わせた。初老の穏やかな表情の男性だったが、ソンジン氏同様、体はがっちりとしていた。

ランチを食べようと誘われ、犬鍋の専門店に行った。店は3階建ての大きな店で、昼間から飲んでいる人がたくさんいた。犬鍋のほかに高麗酒というアルコール度数が40度近くある酒が1本注文された。男性の登山友達という女性と3人で鍋をつつきながら延吉の話や、登山の話を聞いた。登山はかなり本格的なようで、がっちりした体型も登山で鍛え上げられたもののようだ。あっという間に1本が空いていた。

手ぶらでは帰れない

車で延吉郊外に向かう 行き先不明

キムソンジン氏について、彼らは「カン社長」と呼んでいた元々キムソンジンは偽名だろうとは思っていたが、本名はカンなのか、それともここでは、カン社長と呼ばれているだけなのか。期待していたテープは昼食の席では渡してもらえなかった。

「また夕方迎えに行きます」

どうやらソンジン氏から客人をもてなすように頼まれているようだった。

ホテルに戻って休んでいると、2時間後に同じ登山仲間という男性と3人で迎えに来た。彼は日本で研修を受けた医師で日本語を話した。いつどのような形でテープが渡されるのか気が気ではなかったが、親戚の男性は、そのような素振りは全く見せない。わざわざ延吉まで来ているのに手ぶらで帰るわけにもいかないが、テープのことは親戚以外には聞かれてはいけないのではと思い、こちらからは切り出せずにいた。

爆弾酒につぶされるのか・・・

近場の店かと思いきや、4人を乗せたタクシーはみるみる郊外にいく。少し不安になりかけていた1時間後に、人里さみしい街灯もない民家についた。

この民家の離れで鹿鍋を食べるというのだ。出かけるときには気づかなかったが、親戚の男性は高麗酒が3本を持ってきていた。鹿鍋は食べたことのない味だったが、おいしかった。中華料理というよりは、朝鮮族だからか、朝鮮半島の料理だった。鹿肉の辛いスープといったところか。印象に強く残ったのは、野菜そのままの大きさのキムチだ。普段ソウルで見る一口サイズのキムチは上品に1口サイズに仕上げられたものかもしれない。野性味あふれる巨大キムチ、むしろこちらがキムチの原点かもしれないと思った。

延吉市内の戻ってからも酒席は終わらなかった。カラオケ屋でまたビールから始まり、爆弾酒に移行する流れになっていった。

「これ以上飲んでは、テープを無事に受け取れない」

そう思った僕は、酔ったふりをして、踊ることで時間を稼いでいた。

無事に出国なるか

それも限界に達し、「明日の飛行機の時間があるので、そろそろホテルに戻りたい」と切り出すと、「預かりものを渡しておく」とコンビニの白いレジ袋をいとも簡単にわたされた。

あっけない結末だった。

飛行機に乗り遅れるわけにはいかないので、ホテルに戻ってシャワーを浴び、ベッドに横になることなく、すぐに空港に向かった。元々1泊の強行軍の予定だったので、機内持ち込みの手荷物1つだけだった。セキュリティ検査でテープをとりあげられたらどうしようと思った。

思えば、卒業旅行で当時のソビエトから東欧を通って西側に鉄道入るユーラシア大陸縦断の旅をした時も、よほど僕は怪しく見えるのか、検問ごとに小さなティッシュに至るまで荷物をチェックされたのを思いだした。犯罪者に見えるのか、人相が悪いのかと悩んだものだった。

しかし、東北アジアでは、そうでもなかったようで、僕は出国審査をすんなり終えて出発ゲートへ向かった。心配は杞憂に終わった。

機内で袋を開けてみると、2つ封筒がある。1つにはマイクロテープが2つ入っている手触りで、もう1つにはUSAと鉛筆で書かれていて中にはテープが3つ入っているような手触りだ。いずれも糊付けされていた。

そういえば、「アメリカの情報機関とも付き合いがある」という話を彼はしていた。

「アメリカ側から会いたいという話があり、夜中に駐車場で待っていると、向こうはヘリで現れた」などと言っていた。映画のような大げさな話だと思い、聞き流していたが。まんざら嘘でもないらしい。

ソウルが近づくにつれて、この封筒は対北融和政策を行っている韓国で入国する際も見つかってはまずいと思った。僕が、韓国に警戒感を抱くのには理由があった。最初に北朝鮮に行った直後に自宅に泥棒が入る被害にあったからだ。支局に出勤中に警察から電話があり帰宅すると、アパートのドアのノブごと破壊され、引き出しという引き出しが開けられていた。ところが、おかしなことに盗られたのはセーター2枚だけだった。

むかいの部屋のおばあさんがうちに来て「あなたがいつも家にいないから、うちは現金に貴金属が盗まれた」などと言いがかりをつけてきた。会ったこともないおばあさんだ。現場検証をしていた警察からは、被害届を出すように言われ被害届を出した。「こんな犯罪が起きて外国人の方に申し訳ない」と警察官に言われた。アパートには防犯カメラもあったので、被害品は戻らなくても犯人は捕まると思っていたが、その報告を受けることは無かった。

ヨドク政治犯収容所の門

僕は、韓国の情報機関が北朝鮮に行った僕を調べるために大掛かりな演出をして部屋に入ったのではないかと疑っていた。

結局、僕は、旅行者として中国に行ってきただけなので、堂々と入国審査に臨むことにした。しかし、今回も杞憂に終わり、あっさりとソウルに戻ることができた。

封筒は開封せずにキムソンジン氏に渡した。彼も「良くやった」という風で、撮影者と電話で話してから、インタビューで映像の説明をしたいといつものように言った。数日後、テープの内容はヨドクの政治犯収容所であることが知らされた。

ヨドク政治犯収容所の門の中は次回

キムソンジン氏のインタビューは僕のソウルの自宅で撮影した。二人っきりのインタビューだ。これなら情報漏洩も気にせずにソンジン氏も憚りなく話せるだろう。僕のフード付きの雨具を着せて、マスクにサングラス姿で、テレビの前に胡坐をかいて座らせインタビューを撮影した。質問をしながらの撮影は骨が折れたがやればできることが分かった。

【執筆:フジテレビ FNNプロデュース部長 森本豊一】

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