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「元号を取れ!」トラウマ乗り越え“幻のスクープ”…記者たちの熱き戦い

  • 「新元号」はスクープの最高峰。だが毎日新聞には苦い記憶があった
  • 乱れ飛ぶ新元号の情報…番記者、張り番、取材合戦を繰り広げた記者たち
  • 部下が得た「平成」という情報。だが、号外が出されることはなかった

安倍首相は、年頭にあたっての会見で、5月1日から施行される、「平成」に代わる新たな元号を4月1日に公表すると正式に表明した。

1月10日放送の「直撃!シンソウ坂上SP」では、1989年1月7日の新元号発表の裏舞台で繰り広げられた、毎日新聞の政治部記者たちの意地と社運とジャーナリズムをかけた戦いを描いたドキュメンタリードラマを放送した。

 (※ドキュメンタリードラマは、毎日新聞の元記者たちに取材を重ね、証言や資料を基に再構築している)

元号のスクープはトラウマだった

「平成」

豊かさと喪失、光と影、波乱に満ちた時代を映し出す、象徴的な2文字として日本の歴史に深く刻まれた。

1300年以上にわたり受け継がれ、今や世界中で日本だけが使用する元号。その数は247。
時代の称号、いわばタイトルとして時に時代の空気すらも決める重要なものだ。

今から30年前。この2文字を巡り、壮絶な戦いを繰り広げた記者たちがいた。

昭和の次に来る新しい元号は何か。日本政府が超極秘事項とし、秘密裏に選定を進めるその2文字を突き止めようとした。

毎日新聞・政治部官邸キャップ仮野忠男さんを演じる徳重聡さん

1988年9月、毎日新聞・仮野忠男さんは政治部官邸キャップに任命された。

この時期は竹下政権が消費税導入に命運をかける一方で、リクルート疑惑が政権を揺るがしていたが、昭和の終わり…Xデーは確実に近づいていた。

明治以来、元号はスクープの最高峰だった。各社、必死になってスクープを狙うことが予想された。

そんな中、毎日新聞社は2連敗中だった。大正は朝日新聞社がスクープ、そして昭和は毎日新聞にとって苦い記憶だった。

それは「光文事件」と呼ばれた。

大正15年12月25日。未明に大正天皇が崩御し、新しい元号をめぐる報道合戦が繰り広げられる中で、東京日日新聞(現・毎日新聞)が他紙に先駆けて「元号は光文」と号外を出した。

ところが、発表された元号は「昭和」。

歴史的なスクープになるはずが、世紀の大誤報を放ってしまい、東京日日の報道機関としての信頼は大きく傷ついた。

実際には「光文」に決まっていたものの、漏れたことを知った政府が「昭和」に差し替えたとも言われているが、真相は今も分かっていない。

前例も手本もない取材だった

ドキュメンタリードラマより

1988年9月19日、昭和天皇が吐血された。

元号の決定権が天皇陛下から内閣に移って初めてとなる新しい元号の取材は、前例のない取材であり、取材の手本も存在しなかった。

元号を選定する手順は、政府によって細かく決められ、公表されている。元号法が成立した昭和54年に閣議報告された『元号選定手続について』。

総理大臣は若干名の学者に元号の考案を委嘱。学者たちは中国の古典などを基に、いくつかの素案を作成し、これを政府が回収。良い意味であること、漢字2文字であること、読み書きがしやすく、過去に元号として使われていなく、人名・企業名などで一般的に使用されていないもの、といった条件でふるいにかけられ、さらにいくつかの段階を踏んで、最後は閣議決定するというもの。

ただし、この手続きを開始するのは、あくまでも天皇が亡くなられた後、というのが政府の建前であり、改元は天皇の死を前提とするもので、生前から着手するのは失礼にあたるという考えがあった。

しかし、今後何十年にもわたって使われ続ける元号を、天皇の逝去後に短時間で決められるはずがない、とし、政府が水面下で選定を始めていることは誰もが承知していたという。

乱れ飛ぶ「新元号の案」

そんな中、ある出来事が起きた。

毎日新聞社が発行する英字新聞「マイニチ・デイリー・ニューズ」は、天皇陛下の逝去を悼む社説を誤って掲載。回収、刷り直しという信じられないミスだった。

編集の総責任者である主筆が即日更迭され、当時の局長は主筆代行を兼任することとなった。

しかし、取材合戦は止まらなかった。

疑わしいものから、それらしいものまで、永田町には数十にのぼる新元号案が乱れ飛んだという。

宮内庁の職員と酒を飲んだという野党首脳からの「新元号は『承』の字で始まる」という情報や、竹下首相と付き合いのある作家が「光」という文字を使うように進言したという話、「竹下首相が執務室で中国の古い詩集『唐詩選』を読んでいた」という目撃談など。

裏付けを取ることもできず、うわさや推測の域を出ないものばかりで、確かな手掛かりは一向につかめなかったという。

元内閣内政審議室長(元号担当)・的場順三さんは「番記者のような人が24時間張り付いて、自宅も必ず誰か記者が来る。(元号を)ギリギリまで知っていたのは2人しかいない」と振り返った。

竹下首相の私邸前には「番小屋」というプレハブが建てられ、番記者たちはそこで寝泊まり。最も過酷だったのは張り番の記者たち。病状の変化を逃すまいと、皇居の門それぞれに新聞、テレビの記者、カメラマンが24時間体制で張り付いた。

元フジテレビアナウンサー・露木茂さんは「私の場合は、スタジオを仕切らなければいけないので、いつでも10分以内に局に入れるようにと、ホテルに寝泊まりしていた」と明かした。

部下の記者は仮野さんにある提案をする

ドキュメンタリードラマより

新元号の決定は、3つに絞り込んだ案からXデー当日に竹下首相が「これだ」と指をさしたものが決まると言われていた。

選ばれた一つを突き止めても、政府に勘づかれ、差し替えられてしまえば一巻の終わりだった。光文事件を繰り返さないために、“とるタイミング”が重要となった。

すると、仮野さんの部下の記者はある提案をしたという。

新元号を確実に知ることができるという、“ある人物”にアプローチして、Xデー当日に元号をとるという取材方法だった。
この情報源をウォーターゲート事件を報じたワシントンポスト紙に倣い「ディープスロート」と呼んだという。

この時、天皇陛下のご容体は悪化と小康状態を繰り返し、日本中が自粛ムードに包まれていた。

そして、12月5日未明、天皇陛下は多量の出血をされた。

胃の中にたまった血液をチューブで吸引して輸血したが、最大血圧は40台、意識レベルが低下し、朦朧とした状態に陥られた。

一方で、部下の記者は、情報源の懐に迫っていった。

昭和が終わった。「新元号」の情報をつかんだが…

1989年1月7日、午前6時33分、天皇陛下が崩御された。

小渕官房長官(当時)の会見、天皇が皇位を継承された証として、剣と勾玉、国璽、御璽を引き継ぐ儀式「剣璽等承継の儀」が行われた。

さらに、民間の有識者から意見を聞く「元号に関する懇談会」や新元号を協議する「全閣僚会議」が開かれた。

懇談会では3案中、最初の案に意見が多数あったという。

日本、中国、東南アジアでかつて使用された1300の元号を調べても使用されていなく、アルファベットに表記した際、2番目と3番目の案はSで紛らわしいという考えもあり、明治はM、大正はT、昭和はS、この後はHが座りが良い、ということで、「平成」という新元号が決定したという。

一方、仮野さんの部下は、情報源から新しい元号は「平成」という情報を得て、その情報は本社へと伝えられ、号外を出す作業が進んでいった。

だが、局長は発表される前に号外を出すことをしぶった。周囲が説得をするも、結局、発表前の号外は出なかった。

昭和は終わった。

天皇陛下の大量吐血から111日目のことだった。

発表前の号外という確かな形にならなかったことから、このスクープをライバル各社は認めていない。朝日新聞と読売新聞は「今回は事前に漏れることもなかった」、「スクープもなく、新元号平成は決まった」とした。また、産経新聞社も「活字化に明らかなスピードの差が認められない以上、新聞のスクープとは言えない」との立場をとった。

ただし、毎日新聞社の社内はこのスクープに、最も栄誉ある「主筆賞」が贈った。情報源を守り、仮野さんの部下の記者が特定されないよう、官邸クラブなど大勢の連名で受賞する形をとった。

「国民に早く知らせる」ことが新聞の役割

仮野さんはその後、政治部デスクや論説委員を経て、56歳で退職し、大学教授となった。

なぜ、彼らは111日間も戦い続けたのだろうか。

仮野さんは「“権力”というと大げさかもしれませんが、政府であれ、立法府であれ、司法部であれ、自分たちの都合の悪いものは隠すんです。官邸側は、厳しい報道管制を敷きました。しかし、私たちは厚い壁を崩して、国民に早く知らせる、それが新聞の役割。ジャーナリズムの役割だと強く思っています」と明かした。

元特別取材班の榊直樹さんは「一言で言うと、異様な二度と経験することのないような期間でした。いろいろなところに熱心に取材の攻勢をかけて、よくぞこじ開けてきたと。その記者の努力を称えたいという気持ちになりました。毎日新聞にいた記者としての、ささやかかもしれませんが誇りです」と当時を振り返った。

30年間の沈黙を守ってきた仮野さんの部下の記者は、番組の取材に対して、毎日新聞社を通してこう答えた。

「申し訳ありませんが、当時、情報源の方と固く約束したことであり、この件については沈黙を守るつもりです。会社として私の名を明かさないという方針を貫いていただいたことに感謝しています」

日本政府は今も、「平成」決定のプロセスについて、正式には何も公表していない。

新たな時代の幕開けは、目前に迫っている。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54