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『渡鬼』誕生の裏に夫の莫大な遺産!? 橋田壽賀子が人気脚本家になるまで

  • 夫とは出会って10日で結婚。恋のキューピッドは石井ふく子さん!?
  • 「不倫と殺人は書かない」橋田さんの脚本家人生を変えた夫との約束
  • 大チャンス到来の裏で辛すぎる現実…夫を襲った病

『おしん』『渡る世間は鬼ばかり』など数々のヒットドラマを生み出してきた脚本家・橋田壽賀子さん。

番組MCの坂上忍も、橋田さんのドラマに出演し、子役としての才能を見出された。

12月13日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系列)では、橋田さんのヒット作『渡る世間は鬼ばかり』の誕生秘話や、夫との出会いについて直撃した。

今、唯一の趣味は「豪華客船での旅」

坂上がやってきたのは静岡県熱海市。

山を登った高台に50年近く前から住み始め、現在は5人のお手伝いさんと一匹の猫に囲まれて静かな生活を送っている。

さらに、自宅の向かいには、ドラマの出演者を招き、パーティを行うためのゲストハウスも。そこには、南極へ行った時のペンギンの写真などが飾られていた。

今、唯一の趣味が豪華客船での船旅だという橋田さん。1年のうち100日ほどかけて世界一周のクルーズに行くこともあり、船旅中に書いた原稿は編集者がわざわざ海外まで取りに来るという。

そんなゲストハウスの地下には、橋田さんの脚本家人生を詰め込んだ驚きの空間が広がっていた。

橋田さんの年表や写真パネルが並べられた、まさに“橋田ミュージアム”だ。

早稲田大学・演劇部の時に撮影された写真に坂上が「モテたんじゃないですか?」と尋ねると、橋田さんは「モテない。本当に口説かれたことない。戦争中、相手は全員死んじゃって、帰ってきた人はみんな若い人と結婚されて、トラックいっぱいに男1人という時代だから、もう諦めてた…」と振り返った。

そしてそこには、橋田さんとタッグを組んだ、TBSの敏腕ドラマプロデューサー・石井ふく子さんと生み出した作品がまとめられたパネルが残されていた。

橋田さんはこれまでさまざまなドラマを執筆し、その数は320本以上。時には、1年間で大河ドラマとそのほかの連続ドラマを掛け持ちするなど信じられない量に取り組んでいたという。

石井さんとコンビを組んだものだけでも膨大な数だが、作品数の多さに圧倒された坂上は「書いてて嫌になることは?」と聞くと、橋田さんは「全然。遊び心。ママゴトしているのと同じ。書いているとその人になれる。なれないものになれる。すごく楽しかったですよ、人生」と笑った。

そして、別の部屋には世界に1つだけの、特別に製本された直筆の生原稿が保管されていた。

そこには坂上が9歳の時に出演したドラマ『となりの芝生』の脚本も。自分の名前を見つけ喜ぶ坂上に、橋田さんは「あなただって同じ台本を持って、お仕事なさったんですよ」と見つめていた。

『渡鬼』の嫁姑問題は実体験

その中で、最も冊数が多いのが1990年放送開始以来28年続く、ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』。

嫁姑問題など家族の悲喜こもごもをリアルに描いた作品だが、実は橋田さん自身も嫁姑問題に悩まされていたといい、その実体験がもとになっているという。

嫁ぎ先の中華料理店で働く、泉ピン子さん演じる五月が、赤木春江さん演じる姑のキミからいびられる毎日…。橋田さんのリアルな体験は、記念すべき第1回の放送から反映されていた。

「その経験があったからですね。こう言われたら、こういうことになるとか覚えちゃったんです。それまで一人っ子で可愛がられて育ってきたのに、お姑さんが初めて出てきて、どこかで書かなきゃとも思ってました。すごいもうけさせてもらいました。足を向けて寝られません」

さらに、橋田さんのドラマには視聴者を引き付ける様々な工夫が仕掛けられている。その一つが「長ゼリフ」。

「テレビを見る人は一生懸命見ていない。何かしながら見ているから印象付けるため」と、橋田さんは家事や育児をしながらでも話が耳に残るように、長いセリフや同じフレーズを繰り返し多用したという。

だが、その手法について橋田さんは「だから二流なの。二流だから今まで生きてこられた。だから気が楽ですよ。あんた(坂上)は一流になっちゃったから大変だと思う」と謙遜した。

恋のキューピッドは石井ふく子さん!?

実は橋田さん、40歳までは鳴かず飛ばずだったという。

橋田さんの脚本家としてのキャリアは、入社した松竹でテレビドラマではなく、映画の脚本からのスタートだった。

しかし、全く芽が出ず、30歳を過ぎたころ、異動を命じられたのを機に退社し、フリーに転向。風呂なし共同トイレのアパートで、少女小説を描きながら細々と生計を立てていたが、気づけば40歳に。

「映画は散々で、パワハラにも遭ったし、鳴かず飛ばずでいじめられて、『女なんか、映画のシナリオ書けるのか』と言われて、誰にも面倒を見てもらえなくて、読んでもくれない。なかなか売れなかった」

そんなとき、テレビ局へ台本を売り込みに来た橋田さんに運命の出会いが訪れる。後に、橋田さんの夫となるTBS社員の岩崎嘉一さん。

この出会いが、売れない貧乏作家の橋田さんを人気脚本家へ変身させることになる。

あるドラマの企画会議で岩崎さんは、少子化や核家族が進んでいた時代にあえて大家族モノのドラマを提案。時代にそぐわない企画に上司が首をかしげたが、橋田さんは「すごい人だと思った。今、核家族の中で大人数の家族を書こうというセンスを持っている人。あの人、いい人だなとちょっと好感持って…」と当時を振り返った。

恋愛経験のない橋田さんは岩崎さんへアタックする勇気もなく過ごしていると、珍しく原稿の締め切りを守らない橋田さんへ石井さんが催促の電話を掛けてきた。

「恋煩いで原稿を書けないの」という橋田さんに対して、石井さんは岩崎さんを捕まえて喫茶店へ連れていき、橋田さんの思いを勝手に告白してしまったという。それを聞いた岩崎さんは「僕のところに来てくれるなら、女の人なら誰でもいいです」と快諾した。

なぜ、石井さんはこんな型破りな行動を起こしたのか。50年前の真相を石井さん本人に聞くと「本ができることしか考えなかったです。本ができるかできないか、が頭にありました」と明かした。

だが、しばらく2人は何も言ってこなかったため石井さんは「ダメなのかなと思ったの。そうしたら10日くらいして2人から電話があって『結婚することに決めた』と言われて」と石井さんの型破りな行動からわずか10日で結婚を決意。2か月後には正式に結婚することとなった。

2人の恋のキューピッドになった石井さん。「橋田さんに『本を2日以内に書いてこなかったら、ぶち壊してやる』って言ったんです。そうしたら、びっくりして『書く、書く』と2日間で書いてきました」と笑った。


夫の助言で「不倫と殺人は絶対に書かない」

諦めていた結婚が41歳で実現。そして、夫からの「不倫と殺人は絶対に書かない」という助言が、橋田さんの脚本家人生を大きく変えることになる。

「どんな理由があっても、切実な理由があって人を殺してもいけないことだから、と主人が言うんです。不倫は絶対、何があってもダメ。結婚してからちゃんと仕事ができるようになったんだから、その時にくぎを刺されたんです。不倫と殺人だけは書くな、それを書かなきゃ食べられないようになったら、ライターはやめろって」

夫の言葉を守り、ありふれた家庭を舞台にしたホームドラマを書くようになった橋田さんはその結果、高視聴率を軒並み連発。

結婚18年目に書いた『おしん』はドラマ史上歴代1位となる平均視聴率52.6%(ビデオリサーチ調べ)を記録した。

そんな橋田さんは今年、あるインタビューで「私の時代は終わった」と衝撃の発言をしている。

その真意を坂上が尋ねると「もう、ホームドラマの時代は終わったと思っているわけです。あんなホーム(家)の重箱の隅をほじくるようなドラマはダメ。ミステリーみたいなのでないといけないし、今のドラマ分からないの。難しくて、セリフが分からない、テンポが速いんです」と話した。

夫を襲った病…書き続けた『春日局』

結婚そして熱海への移住、『おしん』の大成功。人生が順風満帆だった。そんな時に大チャンスが舞い込んだ。

それは、徳川家の大奥を描いた大河ドラマ『春日局』の執筆。だが、その大ヒットドラマの裏にはあまりにも辛すぎる現実が待っていた。

橋田さんが60歳の時、夫・嘉一さんが肺がんになり、医師から「余命は半年」と宣告される。

1980年代当時は、まだ「がん=死」というイメージが強く、本人には告知しないのが一般的だったため、橋田さんは夫に肺を覆う肋膜が炎症を起こす肋膜炎であると嘘をついた。

最後まで夫に病名は伏せていたという橋田さん。一方、1年間で全50話を書かなければならない大河ドラマの執筆も待っていた。しかし、闘病中の夫に付き添いながらの執筆は体力的にも、精神的にも限界だった。

そんな時に相談をしたのが石井さん。しかし、石井さんは「あなたが降りたら、嘉一は自分の病名に気づくわよ。病名を黙っているなら、書き続けるしかない」と橋田さんに執筆することを勧めた。

夫に嘘を突き通しながら1年間必死に書き続けた橋田さん。こうして完成した『春日局』は、平均視聴率32.4%(ビデオリサーチ調べ)を記録。大河ドラマ史上歴代3位の高視聴率だった。

そして、最終回を書き上げた約20日後、夫は安心したように息を引き取ったという。

夫の死後、株などを整理した橋田さんは、多額の遺産が残されていたことに気付く。

その額は約2億7000万円。

それは夫が生前、橋田さんの名前を後世に残すために財団を作ろうと計画していたお金だった。

しかし、ここで問題が発生。財団を作るときの基金は3億円必要で、少し足りなかったのだ。

「2000万円足りないでしょ。しょうがないから、石井さんに言ったの。そうしたら、1年書いたら2000万、TBSで借りてあげるって」と橋田さんは石井さんから言われたという。

こうして『渡る世間は鬼ばかり』の誕生の裏には、夫が残した莫大な遺産の存在があった。そして結果的に、「1年書いたら…」が28年も続く国民的ホームドラマとなったのだ。

「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54

(「死ぬときくらい自由に選ばせて」安楽死宣言をした脚本家・橋田壽賀子の真意)