大谷より先に“二刀流”をした新庄剛志が、給料の9割超を車に使ったワケ

  • 最後の打席の涙は、ユニフォームを脱ぐ寂しさからでは無かった
  • 実は計算高い!?開幕直後の引退宣言もそうだった
  • 本気を出せば日本一の選手になれた?

「記録より記憶に残る選手」と称された元プロ野球選手の新庄剛志。
“亀新フィーバー”や突然の引退宣言で阪神を沸かせ、大リーグでも「外野手で5本の指に入る」と言われる程の守備力で活躍、東京から北海道に本拠地を移した日本ハムに移籍してからはチーム優勝の原動力となった。

9月23日に放送された「ジャンクSPORTS 秋の3時間SP」(フジテレビ系列)では、現在インドネシアのバリ島を生活の拠点にしている新庄剛志さんが、現役時代の秘密を暴露した。

年俸2200万円で2000万円のベンツを購入!

1994年、セ・リーグでは史上初めて直接対決で優勝が決まるという、野球ファンの間で『10.8決戦』と呼ばれた試合が行われた。当時の巨人・長嶋茂雄監督が国民的行事とまで言い切ったこの試合は、プロ野球中継史上、最高視聴率の48.8%を記録した。

その年、チーム最多となる17本塁打と、自身2度目となるゴールデングラブ賞を獲得した新庄さん。1992年の年俸は460万円だったが、93年には2200万円、94年には4300万円と飛躍を続けていた頃だった。

どうしてもベンツが欲しかった新庄さんは2200万円の年俸をもらった際、2000万円のベンツを購入してしまったという。計画性のなさにMC・浜田雅功さんが「お前アホやろ!」と笑いながら突っ込むと、「残り200万円で一年間過ごせばいいかなと思っていて。税金知らなかったの」と驚きの事実を明かした。
お金が無くなってしまったため、前年の収入でかかってくる税金を払うために、お金を借りたそうだ。そんな新庄さんに、芸人の土田晃之さんも「急にブレイクした芸人と一緒」と笑いを誘う。

しかし、新庄さんには生活が苦しくなったとしても車が欲しかった、ある理由があると明かした。
「小さい時にテレビで、プロ野球選手がかっこいい車で契約更改にいくのを見て。あれが夢で毎年車を変えていました。カウンタック・フェラーリ・ベンツって借金して。今度は子どもたちに夢を売りたかったから、そのために」と話す新庄さんに、元サッカー日本代表選手のラモス瑠偉さんも「それは凄い!」と感心していた。

実は計算高い!?

2003年12月、メジャー・リーグで活躍した新庄さんは、4年ぶりに日本球界に復帰。
巨人か阪神か、その入団先が注目される中、選んだのは東京から北海道に本拠地を移転したばかりの日本ハムだった。

当時、最初に声をかけてくれたチームだから日本ハムを選んだと話していたが、「実は巨人の原さんなんです」と驚きの事実にスタジオはざわついた。それでも「北海道に移転するという話を聞いて、オレ一人の力でどれだけ人気が出る球団にできるかという、それが一番でしたね、かっこいいでしょ?」と同意を求めたが、スタジオ全員が「今考えればでしょ!」と突っ込んでいた。

「とにかくこのスタンドを一杯にしたい」と入団会見で話したほど、当時の日本ハムはBクラス常連の不人気球団で、観客席にも空席が目立っていた。そんな日本ハムを人気球団にするため、新庄さんはお面をかぶったり、ハーレーダビッドソンに乗って登場するなど、斬新なパフォーマンスを行い、観客動員数は入団一年目から大幅アップ。

一方、入団3年目には、ヒーローインタビューで「今シーズン限りでユニフォームを脱ぐことを決めました」と人気絶頂の中、突然の引退宣言。するとこの発言でチームは一丸となり、25年ぶりのパ・リーグ制覇、そして日本シリーズでも勝利し、新庄さんが目標に掲げていた日本一を達成した。この試合は、札幌地区での瞬間最高視聴率73.5%を叩き出した。

そんな新庄さんの最後の打席、涙を流しながらフルスイングで三振となった姿は、テレビで繰り返し放送されていた。しかしその涙は、ユニフォームを脱ぐ寂しさからだったわけではないと話す新庄さん。
「谷繁さんが、『おい新庄、泣くな。真っ直ぐ行くから。真っ直ぐを打て」という言葉で涙が出たんです。だって日本シリーズですよ?『諦めてるの?』って思って。僕のために花道をプレゼントしてくれるんだ、すごい人だなって思って」と優勝を争う試合で、相手チームのキャッチャーだった谷繁元信さんがかけてくれた“やさしさ”で泣いたと明かした。

しかしストレートが来ると言われながらも三振に倒れてしまった理由については、「新庄イコール三振。三球三振ってかっこいいなって思って。最後までファールファールで粘ってあ〜ってかっこ悪いでしょ?三振はわざとです。全部僕計算なんですよ(笑)」と、自らを計算高いと告白した。
開幕直後の引退宣言も、“計算”だったと続ける。
「だって開幕して10日目で引退するって馬鹿でしょ?なぜ宣言したかと言うと、セ・リーグもパ・リーグも含めて、僕が出てくる試合は全部見に来てくれるだろうなって思ったんです。で、ファンを集めて選手のパワーを出そうと思ったんです。そうすれば日本一になれるんじゃないかなって思って、10日目に言ったんです。僕頭いいから(笑)」と、話す新庄さんだったが、実際に有言実行していたことで、スタジオは納得せざるを得ない雰囲気となっていた。

イチローも松井も新庄に憧れた?

さらに、「スポーツ奥の奥 新庄剛志SP」には、同い年の元巨人・元木大介さんが登場。新庄さんは甲子園で活躍していた頃の元木さんのことを、同じように甲子園で活躍した日本ハムの中田翔選手のレベルだったと見ていた。
「ホームランバッターで、男前だし、キャーキャー言われて。それで一つ聞きたいのが、なぜ巨人に行って右打ちになった?」と問いただすと、元木さんは「1年間の浪人したことと、周りにホームランバッターが多すぎて、何で生きていくかを考えて」と答えると、新庄さんは「それでちっちゃくなったんだ。中途半端なクセ者になったよね(笑)」と厳しい一言。
元木さんは「俺帰っていいですか?(笑)」と笑いを誘った。

その後、新庄さんは自らの歯をすべて抜きインプラントに変えるために2000万円かかったと暴露。しかもその手術は4日で終わらせたという。さらに突然、先日整形をしてきたことを告白。スタジオはあまりの自由すぎる暴露に戸惑いを見せていた。

センターからこんなふうにサインを出して…

そんな新庄さんの代名詞といえば、ワンプレーで見る人の心を掴む守備。メジャー時代は「メジャー屈指の外野手。5本の指には絶対に入る」とサンフランシスコ・ジャイアンツのコーチが言っていたと青木宣親選手も話す。
新庄さんは「イチロー君も松井君も僕の守備に憧れて、うまくなりたいと言っていた」とおどけるが、阪神に在籍していた頃、首脳陣に「センター以外でもレフトライト問わず、捕れる球は全て捕れ」と言われていたという噂を本人に問いただした。
「ライトでもレフトでもじゃなくて全部。内野も全部。野村さんが『お前はキャッチ力が凄い。内野でもキャッチャーフライでも全部お前が捕れ』って」

さらに新庄さんは続ける。
「タイガース時代俺がキャッチャーにサインも出してましたもん」
センターの守備位置から、スライダーやフォークなど体でサインを出し、3試合出したところ、全て完封で終わらせたという。

本気でやれば日本一の選手に!

そして現在メジャー・リーグで二刀流の活躍を続ける大谷翔平選手より先に、1998年のシーズン終了後、新庄さんに二刀流の話が持ち上がったという。
当時阪神の監督に就任したばかりの野村克也元監督が、キャンプでの新庄さんの肩の強さに驚き、「うちのピッチャーの誰よりも速い」と目をつけた。実際99年のオープン戦で巨人戦に登板した新庄さん。巨人打線相手に三者凡退に打ち取るなど才能を見せつけたが、この試合で怪我をしてしまい、投手としての道を諦めた。

しかし実は怪我はしていないと明かした新庄さん。
「やっぱりピッチャーって面白くないなと思って、嘘ついて足が痛いって言ったんです。簡単に抑えられるから」と話すとスタジオは苦笑い。すると元木さんはまた「俺帰っていいですか?(笑)」と逃げ出したそうにしていた。

野村元監督が新庄さんにピッチャーをやらせたかった理由は、新庄さんが頭を使ってピッチャーの考えることを考えながら打席に立つようになれば、長嶋・王・イチロー全てを超えられる選手になれると見抜いたからだと、自書に書いているという。
「なんで本気でやらなかったねん」と浜田さんが突っ込んだが、新庄さんは「めっちゃやってたのに…(笑)」と困り顔。


ファンを楽しませ続けた「記録より記憶に残る選手」新庄さん。
これからも私達を楽しませ続けてくれそうだ。

『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~7:57放送