リーマンショックから10年 “傷口に塩と唐辛子とタバスコ‥”はまた起きるか

カテゴリ:ワールド

  • ”100年に一度の金融危機”と言われたリーマンショックから10年
  • 「ハチに刺された程度」 世界中で未曾有の事態になるとの認識は、当初薄かった
  • ”グロテスクな金融状況”が次の危機を生むリスクは・・・

「瀕死の病人の傷口に塩だけでなく唐辛子とタバスコとラー油を徹底的に塗り込んで、知らんぷりして、去っていくような光景だ」

9月15日で”未曾有の“とか”100年に1度の金融危機“と言われたリーマンショックから10年、今週は各経済メディアや金融専門家のコラムなどで、”リーマンショックから10年“のテーマの文章が散見されるだろうが、今回、経済取材の現場で過去に感じたことを(ここ10年に感じたことも含め)当時を振り返りながら少しだけ執筆した。

「お金に絡む動きは血も涙もない」

冒頭に記したのは、リーマンショック時ではなく、今から21年前の1997年に起きたアジア通貨危機の際に、東南アジア在住の金融関係者が用いた比喩だ。当時私は東南アジア、フィリピン・マニラを拠点として取材をしていた特派員だった。マニラにはアジア開発銀行があり研究者も多くいたので1997年中ごろから始まったタイバーツの極端な下落などの状況を取材していた。

アジア通貨危機は、簡単に言うと、当時の主にASEAN(東南アジア諸国連合)の経済成長に伴い、この地域に投資が殺到、アジア各国も海外からの投資を集めたいために米ドルなど海外からハードカレンシー資金を呼び込んでいた状況がはじけたことだ。東南アジアのドル預金の年利が8%などの状況だったことからもわかる通り、”お金は増えそうなところに集中的に集まる“法則のような状況で米ドルなどが東南アジアに集中していた。

そこに危機の引き金を引いたのは、ヘッジファンドなどのファンドであり、数年間の利ザヤのさや抜きを一気に行って資金を引き上げ(バーツなどの現地通貨を徹底的に売ってドルに換えて持ち帰るというイメージ)、さらに空売りを仕掛けて、最後は各主体が手持ちバーツなどの東南アジアキャッシュを売りきって”逃げていった“光景である。それが「瀕死の病人の傷口に塩と唐辛子とタバスコを…」という表現だった。

日本でも1997年からは山一證券、長銀、拓銀、日債銀などが破綻した金融危機の最大のピークであったが、当時この危機の直後は、ベトナムでもマレーシアでもインドネシアでも、建設途中の高級ホテルや商業施設などがしばらく雨ざらしで放置され(つまり投資資金が事業計画と関係なく引き上げられ、何の対応もできずに放置されたという状況)、似たような光景が東南アジア各地見られたのを、今でも鮮烈な記憶として覚えていて、「お金に絡む動きは血も涙もないものだ」と感じていた。

「ハチに刺された程度」?

10年前の2008年9月15日(祝日、敬老の日)、私は当時、報道局の経済部デスクをしていて遅番勤務だった。早番のデスクから「海外メディアが“リーマンブラザーズ破綻処理へ”と打電し始めた」と引継ぎを受けて遅番勤務に入った。前年から一部金融機関の資本不足、2008年3月に投資銀行のベア・スターンズが破綻、アメリカの住宅バブル“サブプライム(住宅ローン)バブル”がはじけ、終焉に向かっていた状況は理解していたが、それが、すぐに“100年に一度”というレベルになるとは確とは感じず、今となっては経済報道マンの自分の不明を恥じるばかりだ。

先進国のアメリカで住宅を担保にアメリカ人の大多数が“大借金&大消費ウェイオヴライフ”を行い、その住宅ローンを複雑な金融証券スキームにして、それがまた信用バブルを呼びに呼んでいた構図が崩れ去った瞬間だった。当時ある経済閣僚が「ハチに刺された程度」と形容し、当時の日本銀行の議論の議事録でも、直後に世界中で恐ろしい信用収縮が連鎖し未曾有の事態になることの予想は薄かった。

この9月15日以降、主に世界的な金融情勢の悪化は、見る見るうちに次々と金融市場に混乱をもたらし、金融市場で資金の出し手がいなくなった。11月に経済デスクの遅番をしていた夜、日銀はじめ先進国の中央銀行が共同で金融市場への臨時供給を決定した際、当時の白川日銀総裁が「今夜、世界のドルの短期市場でドル資金が枯渇しました」と述べた夜には、さすがに「これから世界や日本はどうなるのだろう」と夜のニュースの原稿を書きながら不安な気持ちでいっぱいだったのを覚えている。

”グロテスクな状況”が次の危機を生むリスク

リーマンショックの翌年、2009年3月末は金融危機が実体経済に波及したことが決定的になった。世界的に続く信用収縮(銀行間も含め、貸したお金がもう2度と帰ってこなくなるのではという恐怖から金融市場にお金が出てこなくなること、すると企業の短期の必要な資金も投資等の資金もすべて調達できず、経済の収縮につながること)は変わらず、日本でも国際展開する世界で名だたる大企業が数百億円、数千億円の最終赤字を記録した。

こうした事態への対応で、2008年後半から世界で初めてのG20=20か国・地域の会議が開催され、2009年には世界全体で約500兆円の財政出動を行うことを決め、アメリカの中央銀行に当たるFRB(連邦準備制度理事会)や日銀が市場に大量の資金を出す”量的緩和“や、その後はゼロ金利政策も始まり、数年後には米ドルが2008年の4倍程度、日銀も2013年4月の黒田総裁以降では、円資金を2013年の3倍以上に増やしている、ある意味”必要な金融緩和措置“を取り、景気の”底抜け“を防いだのは多くの読者の知るところである。

その間、経済実態と景気回復の量やスピードと乖離した財政出動をした南欧諸国の財政危機などからユーロの危機も発生、リーマンショックという異常→未曾有の財政出動のいびつさ→中央銀行の近代経済史上例を見ない規模の量的緩和やゼロ金利、という、ある意味“グロテスクな状況”が続いたままである。

リーマンショックから10年、おそらく、リーマンショックの4年後、2012年秋ごろからは金融市場をはじめ実体経済も上振れの巡航速度に入り、現在アメリカを中心に経済は盤石のように見える。トランプ米大統領が11月の中間選挙をにらんだ“戦術”(と呼べるかどうかもわからないが)として、”関税戦争“”貿易戦争“を仕掛けていることは多くの経済関係者が当面の不安要素と指摘するところだが、昨今のトルコリラの急落に見られる現象が、リーマンショック後、新興国や途上国など世界中に散らばったドル資金などが、米国の利上げで米国など先進国に戻る恐れも強まる中、一部の金融専門家は注意深く、一部の金融商品の取引量や価格の変化を精緻に分析し、”リーマンショックから10年の次の変曲点“”次の金融危機“の萌芽をいち早く掴もうとしているが、景気は循環変動する中、グロテスクな金融状況が次の危機を生む可能性はゼロではない。

”カネ余りマネー”は幽霊のように・・・

お金とお金を動かす人々(金融ディーラーだけではないすべての人)は「自分(や預かったお金)の損は絶対避けたい」という、いわば絶対的な真理(心理でもよい)から来る思考回路と行動原則に基ずき、”絶対に損はしない、しても最小にする“という行動につながることは間違いない。世界にあふれた”カネ余りマネー“はある時はどこかの通貨に、ある時は資源や商品に、ある時は金融商品に、ある時は一部の国の国債に、と、”幽霊のように、また神出鬼没“で、資金はあっという間に動き、引き上げられた国や地域では、いつでも「瀕死の病人の傷口に塩とタバスコと辛子と…」の現象が起こりうる。

2009年のリーマンショックのあと、経済危機が引き金で日本では地方の中小企業が最後のすそ野、世界の末端の部分で破綻、倒産、経営者は自殺や夜逃げ、一家心中などの悲劇もあった。ウォール街のディーラーなどが、自分の差配が世界各地で悲劇をもたらしたことを想像していたかどうかはわからない。他人が世界のどこかで野垂れ死にしても、知らんぷりでいられることを許してしまうことは自由競争の経済では仕方がないのか、セイフティネット構築は政治の役割であるが、次の危機には中央銀行の対応策も10年前より手段は乏しく、政府の財政出動もその余地は不明で、心配は尽きない。

(執筆:OKWAVE総合研究所長 大山 泰)

日本初、最大級のQ&Aサイト運営の、株式会社オウケイウェイヴのシンクタンク、OKWAVE総合研究所所長。元フジテレビ報道局経済部長、経済担当解説委員。1961年東京生まれ。一橋大学経済学部卒。内閣府/公正取引委員会「競争政策と公的再生支援の在り方に関する研究会」、農水省「政策評価第三者委員会」など、複数の政府の有識者会議等の委員を歴任。