【死刑執行】オウム真理教の6人  知られざる教団の闇と驚愕の犯行

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7月26日に死刑が執行された6人のオウム死刑囚。
東京大学や早稲田大学を卒業した”エリート“や”殺人マシン“と恐れられた男など
それぞれが果たした役割と教団の驚愕の犯行とは…

林泰男死刑囚

林泰男死刑囚

オウム死刑囚の中でも、「殺人マシン」と恐れられた男。
オウム真理教元幹部・林泰男(はやし・やすお)死刑囚。

東京出身の林死刑囚は、1987年に教団の前身「オウム神仙の会」に入信。教団では脱会した信者に対する盗聴やロシアでの射撃訓練などを行い、教団の武装化路線に深く関わってきた。

死者13人、6300人以上が負傷した「地下鉄サリン事件」には、サリンを地下鉄に散布する実行犯として関与した。

他の実行犯はサリンを2袋ずつ携帯したが、林死刑囚は3袋を持って、中目黒行きの地下鉄・日比谷線に乗り込み、他の実行犯よりも多くのサリンを散布した。
この路線は、最も死者が多く8人が死亡、このことから、オウム真理教の「殺人マシン」と呼ばれた。

事件後、逃走した林死刑囚。オウム特別手配犯の中でも「教団の闇を知る」人物として警察は行方を追った。

特別手配から1年8か月がたった96年12月。警察は、林死刑囚が過去に沖縄県の石垣島や西表島などを頻繁に訪れていたことから警戒。石垣市内で林死刑囚を見つけ逮捕した。その時の服装は白いシャツにジーンズだった。

豊田亨死刑囚

豊田亨死刑囚

兵庫県生まれの豊田亨(とよだ・とおる)死刑囚は、東京大学理学部卒業後、大学院に進み、素粒子理論を専攻。1992年、オウム真理教に出家した。

 教団内では、1995年に刺殺された村井秀夫(むらい・ひでお)幹部をトップとする「科学技術省」に所属。

「ボーディサットヴァ・ヴァジラパーニ」というホーリーネームを持ち、物理学のエキスパートとして地位を固めた。

豊田死刑囚は、1995年3月の地下鉄サリン事件の実行犯として日比谷線に乗り込み猛毒のサリンを散布したほか、「都庁郵便物爆発事件」で爆薬を製造するなど、あわせて4つの事件に関わり、殺人などの罪に問われた。

 法廷で豊田死刑囚は「松本智津夫死刑囚の指示に抵抗できなかった・・・」と主張したが、1・2審で死刑判決を受けた。

豊田死刑囚は上告したが、2009年11月、最高裁が棄却し、死刑が確定した。

広瀬健一死刑囚

広瀬健一死刑囚

「科学技術省」と呼ばれた組織の次官にのぼりつめた広瀬健一(ひろせ・けんいち)死刑囚。

松本智津夫元死刑囚の指示で、武器製造担当となり、自動小銃を密造する中心メンバーとしてロシアで射撃練習もしていた。
地下鉄サリン事件では、救済につながると信じ、散布役を承諾したとされる。

弁護側は、「マインドコントロール下にあった」として死刑回避を求めたが、最高裁は「法治国家に対する挑戦ともいうべき犯行で、犯行態様は残虐で、非人道的というほかない」と指摘、2009年に死刑が確定した。

死刑が確定した後は、2015年に元信者の裁判員裁判に出廷し、教団内で、サリンのことを「サリーちゃん」や「魔法」という隠語で呼んでいたことを証言。
一方で、「地下鉄でサリンを撒く指示を受けた際、多くの方が亡くなると思った」などと述べていた。

横山真人死刑囚

横山真人死刑囚

寡黙な技術者だったという横山真人(よこやま・まさと)死刑囚は、教団では、「科学技術省」の次官という 幹部の立場にいながら、他の実行犯の証言でも目立った存在として登場していない。

地下鉄サリン事件では、丸の内線の車内でサリンを撒いた実行犯として 死刑判決を受けた。

弁護側は、マインドコントロール下にあったことや、担当した路線で死者が 出ていないことなどから死刑にしないよう求めていた。

2007年に最高裁は、「教団幹部の立場で犯行に積極的に加わり、 地下鉄でサリンを発散させた責任は重いというほかない」と指摘、死刑が確定した。

端本悟死刑囚

端本悟死刑囚

「将来プロスキーヤーになりたい」
文集に大きな夢を書いていた少年時代。
その後、男は「ポア」という言葉で殺人を肯定する教団に、身をおとした…

東京出身の端本悟(はしもと・さとる)死刑囚は、一年間浪人したあと、早稲田大学法学部に進学。
在学中は、空手に取り組み、大会で優勝するほどの腕前になった。

教団に入信したのは大学在学中の1988年。
端本死刑囚は空手の実力をかわれ、松本智津夫元死刑囚のボディガードを務めたほか、新実智光元死刑囚率いる実行部隊で非合法活動に手を染めた。

1989年の「坂本弁護士一家殺害事件」では、坂本堤弁護士に馬乗りになって殴打。
1994年の「松本サリン」事件でも、猛毒のサリンを散布する車を運転するなど、「実行犯」として事件に関与した。

端本死刑囚は、教団が起こした3つの事件で殺人などの罪に問われ、1・2審で死刑判決。上告したが、最高裁が2007年10月に棄却し、死刑が確定した。

裁判中、端本死刑囚は「麻原ではなくて自分の感性を信じるべきであった」と後悔の言葉を漏らしていた。

岡崎一明死刑囚

岡崎一明死刑囚

オウムの初期のビデオにもたびたび登場する岡崎一明(おかざき・かずあき)(現在の名前は宮前一明)死刑囚は、教団の古参信者だ。

岡崎死刑囚は、当時まだ明らかになっていなかった坂本弁護士一家殺害などへの関与を捜査機関に自白。裁判では全面的に罪を認めたうえで、この自首による減刑を主張した。

1審の判決では、自首が成立することが認められたものの、『教団から命を狙われかねないと恐れていたため、自己保身を図ろうとしたもので、極刑を望む遺族感情などを考えると刑を軽くするには至らない』として、裁判所は死刑を選択。

坂本弁護士一家殺害事件や元信者の殺害事件で、殺人などの罪に問われ、1・2審で死刑判決を受けて上告していたが、最高裁が2005年4月に棄却し、死刑が確定していた。
一連のオウム裁判で死刑判決が下されたのは、岡崎死刑囚が初めてだった。