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日米安保を強固にした中曽根康弘氏 「防衛」と「憲法」を語った注目の党首討論を振り返る

カテゴリ:国内

  • 昭和58年9月中曽根首相VS石橋政嗣委員長の“党首討論”
  • 「自分で防衛しなければ侵略される危険が出てくる」
  • 「石橋さんは非武装中立。私は均衡と抑止に基づく防衛体制を作るべきと考える」

記憶に残る注目の一戦

石橋政嗣社会党委員長(当時):
「皆さん方は軍事力によって日本の安全を守ろうとする。私たちは、非軍事的な手段、特に外交的な手段を中心に据えて日本の安全を図ろうとする。」

中曽根康弘首相(当時):
「いかに理念が良くても結果が悪かったら、それは責任を全うできない、これが政治の世界である。」

昭和58年9月19日予算委員会で発言する中曽根康弘首相(当時)

昭和58年9月19日に衆議院の予算委員会で展開された当時の中曽根首相と社会党・石橋委員長のやりとりの冒頭部分だ。筆者は当時野党担当だったが、中曽根氏の訃報を聞いてこの論戦を思い出した。

中曽根首相は前年11月に首相に就任し、昭和58年6月の参院選で自民党は68議席とまずまずのスタートを切った。一方この参院選で、野党第1党だった日本社会党は振るわず、石橋政嗣は9月7日の党大会で新委員長に選ばれたばかりだった。

石橋正嗣社会党委員長(当時)

当時国会では、野党の委員長は本会議で代表質問に立つことはあっても、予算委で自ら質問するのは稀だった。しかし石橋氏はあえて自ら予算委で首相と直接対決することで、持論の「非武装中立論」を世間に広く知らしめるとともに、キャッチフレーズだった「ニュー社会党」をアピールしようとした。

中曽根首相と、石橋氏の直接対決は、例えが適切ではないかもしれないが、「アントニオ猪木vsモハメド・アリ」を思い起こさせるような好カードで、注目の一戦だった。

36年前の映像が残っている。
昭和59年9月19日衆議院予算委員会のやり取りの一部をご覧いただこう。

「自分で防衛しなければ侵略される」

このとき中曽根首相は64歳、かたや石橋委員長は58歳。終戦時、中曽根氏は海軍主計少佐、石橋氏は陸軍見習士官で、戦争を体験した百戦錬磨のベテランの政治家同士の対決は、途中1回だけ防衛庁の局長が説明のための答弁をした以外は、ヤジを除けば、二人だけの真剣勝負だった。

主なテーマは両氏とも得意とする外交そして安全保障問題だ。
議事録から抜粋する。

石橋:
「中曽根首相自身が本当に過去の戦争、日本の軍国主義の犯した犯罪というものに対して腹の底から反省しているだろうか、そんな気がしてならない。」
中曽根:
「過般の戦争について我々が重大な反省をしなければならぬことは事実だ。あの戦争について厳しい自己批判、自己反省をしている演説を私は各地でやっている。」

石橋:
日本は地理的条件も非常に恵まれている国だ。日本がみずから紛争の原因をつくらない限り、他国から侵略されるおそれというものはきわめて少ない国だ。明治以降はこちらが全部侵略した、そういう戦争だ。」
中曽根:
「日本は海国であるから侵略されないだろうというお話だが、私は、自分で防衛しなければ侵略される危険が出てくる、いつでも出てくる、そう思っている。一番いい例が例の北方領土だ。もし、あそこへ日本軍がおり、あるいはアメリカの軍がおったらソ連は入ってこないということになっておったらしいと北千島作戦参謀だった人が書いた本に書いてある。」

「均衡と抑止に基づく防衛体制を作るべき」

石橋:
「シーレーンの確保によってどの程度の輸入を確保しようとしているのか。」
中曽根:
「そういう技術的問題は第二弾の問題で、それ以前に戦争を起こさせないだけの、国民が安心し得る具体的措置をつくっておくということが、さらに政治家としては大事なことだ。その点が石橋さんと私は考えが違う。石橋さんは非武装中立がいいという。私は均衡と抑止に基づく防衛体制をつくったほうがよろしい、こう言っている。」

石橋:
「抑止理論でいくと、とてもおっかなくて日本には攻めてこられないというような脅威を与えない限り、それぐらいの軍備を持たない限り、抑止の効果は発揮できない、常識だ。第一は、兵器の発達がもう過去と全然違う。それから国内には危険物と言われるものが無尽蔵にある。こういう状況の中で、どんなに困難であろうと、すべてをかけて戦争回避、そう考えた場合には、どこの国とも仲良くしようとう必死の思いが出てくるのが、政党政治家としては必然ではないか。憲法が守られておるならば、非武装と非同盟中立が現実であったはずだ。」

「独立自尊を守るのが憲法だ」

中曽根:
「(日本が)独立して存在する以上は、憲法は、存在を守る、独立自尊を守る方策を講じておらなければ憲法ではない。必要最小限の自衛力をもって、自衛権を有効に発動し得るような体制をつくっておくことが憲法を守るゆえんだ。そういう措置まで講じないでおくということは、これは結局護憲ではない、憲法を捨てることだ。私に言わせれば、棄憲である。憲法を捨てることだ。これは全く危険な考えだ。」

石橋:
「どんなに困難であろうとも、国際的には完全全面軍縮、国内においては非武装というこの大理想を現実のものとする努力を絶対に私たちは怠るわけにはいかぬ、この理想を放棄するわけにいかぬ、これが私たちの非武装中立論というものの根幹の考えだ。」
中曽根:
「石橋さんの平和に対する情熱、あるいは日本のために平和を最後まで維持しようという熾烈な御希望については、同感を禁じ得ない。しかし現実的方法については、いろいろ議論があり得ると思う。国民の皆様の間でわれわれ両党でよく説明もし、どちらが御理解をうんといただくか、これは両方の腕前にもよるが、石橋さんのご検討をお祈りする。」
石橋:
「これからも十分に時間をとって論戦を継続したい。」

2時間に及んだ中曽根・石橋両氏の論戦はここで終わった。自民党、社会党双方からのヤジに対して予算委員長が「国民の注視の的になった論戦だから御静粛に願いたい」と注意したが、中曽根、石橋両氏は激することなく議論していたのが印象的だった。

すがすがしさすら感じた“党首討論”

予算委員会での中曽根vs石橋対決はこれが最後だった。
国民の審判はどうだったか。、この予算委の3か月後に行われた衆議院選挙は、田中元首相がロッキード事件で有罪判決を受けた影響もあり、自民党は公認過半数割れし、新自由クラブと連立を組んで政権を維持した。一方社会党は6議席伸ばし、まあまあの結果だったが、昭和61年の衆参同日選で自民党は大勝、社会党は大敗を喫し、石橋氏は委員長を退いた。

東アジア情勢が当時とは激変している今日、もし2人が同じテーマで論戦していたら展開は全然違ったかもしれないが、政治家同士が理念や信念をぶつけあう議論は、聞いていてすがすがしさすら感じた。

国会における党首討論がつまらなくなって久しいが、党首討論が制度化される以前に、国会で首相と野党第1党の党首がガチンコの論戦を展開した例があったので紹介した。

【執筆:フジテレビ 解説委員 山本周】

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