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「まっちゃんがいたから連覇ができた」吉田沙保里に挑み続けた世界最強の2位

  • シドニー五輪の男子サッカーで「メダルを逃したのは僕のせい」
  • 吉田沙保里を常に意識…負け続けたけど、これだけは勝ったかも?
  • 全くのノーマークから金メダル…その裏には家族の絆の危機

2020年の東京オリンピックまで1年を切った。

そこで7月28日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、「オリンピック22の新事実!3時間SP」と題し、レジェンドアスリートからオリンピックの名場面に隠された新事実を語ってもらった。

「メダルを逃したのは僕のせい」

2000年、シドニーオリンピックの男子サッカー。

スター選手を揃えた日本代表は、圧倒的な強さでアジア予選を突破し、オリンピックの舞台ではグループリーグでも勢いそのままに2勝1敗と好成績で、メキシコオリンピック以来、32年ぶりの決勝トーナメントに進出した。

日本中がメダル獲得を期待する中、準々決勝の相手は当時、サッカー界では新興国だったアメリカ。試合前半、日本は先制し、後半で同点に追いつかれるも、2点目を決め、日本勝利のムードへ。アメリカの猛攻をDFの中澤佑二さんらは見事に抑え、キーパーの樽﨑正剛さんも好セーブを連発。

しかし、試合終了間際、PKを与えてしまい同点に。そのまま決着が付かず、PK戦へと突入。日本は3人目まで順調に決めたが、4人目の中田英寿さんが痛恨の失敗。対するアメリカのPKを1本も止めることができず、日本のメダル獲得の夢は破れた。

中澤佑二さん

世間では“中田のせいで負けた”と批判されたが、中澤さんは「メダルを逃したのは僕のせい。僕がキーパーの楢さんをケガさせてしまって、それが響いてしまった」と告白した。

実は、試合中にアメリカのロングボールをクリアーしようとした中澤さんの後頭部に樽﨑さんの顔面が直撃。この時、樽﨑さんは顔面2カ所を骨折したという。

中澤さんは「試合に負けて悔しいという思いよりも、“楢さん、大丈夫かな”という思いが強かった。ぶつかったことで顔が腫れていましたし、セービングがしづらそうだった。PK戦を1回も防ぐことなく負けてしまった。ぶつかっていなければ、確実に1本は止めていたと思います」と当時を振り返る。

そこで、中澤さんが後悔の念を抱える楢﨑さんに番組が直撃。中澤さんとの接触について「覚えています。直後は大丈夫だろうと思っていたんですけど、PK戦に入る前から腫れが出て、視野が狭くなった」と明かした。それでも交代しなかった理由を「自分がプレーできると判断した」と話し、PKを止められなかったことを「ケガのせいとは言えない。中澤佑二は悪くない」と断言した。

ケガの影響はあったものの、あくまで自分のせいだと後輩をかばった樽﨑さん。しかし、当時の映像を見た樽﨑さんは「1つ言えるのは、(当時監督の)トルシエの代名詞である、(ディフェンスが横一列に並んで守る)フラット3という戦術があるんですけど、一人だけ飛び出してて、“チームの約束を守れよ!”と思いますけどね。中澤選手のダメなところが出ました」と指摘した。

ケガを負わせたことよりも、中澤さんが作戦通りに動いていなかったという新事実が発覚。それを聞いた中澤さんは「たしかに、僕は若干ポジションを下げていたかもしれない」と反省すると、番組MCの浜田雅功さんに「若干じゃない!」とツッコまれていた。

0勝17敗の世界最強の2位

吉田沙保里さん

「まっちゃんがいたからこそ、五輪で連覇ができたと思っています」と語るのは、個人戦206連勝、世界大会16連覇、4度のオリンピックに出場、と輝かしい成績を残した女子レスリングのレジェンド・吉田沙保里さん。

そんな彼女の活躍の裏には、松川知華子さんというライバルの存在があった。

吉田さんの2歳年下で、高校時代から何度も対戦し、その数17戦。すべて吉田さんに負けているが、17戦中、松川さんが準優勝した回数は13回。最も吉田さんと決勝を争った選手でもある。さらに、吉田さんが不在だった2011年のアジア選手権などでは優勝を重ねている真の実力者だ。

松川さんがいた55キロ級は、吉田さんが14年間トップに君臨し続けた。ロンドンオリンピックで金メダルを獲得した小原日登美さんも、リオオリンピックで4連覇を達成した伊調馨さんも、かつては吉田さんと同じ階級だったが、階級を変えたことで記録を残している。

そんな中、階級を変えることなく、何度も吉田さんに挑み続けた松川さん。今何をしているのか、番組は松川さんに会いに行った。テレビで吉田さんに対しての思いを語るのは初めてのことだという。

階級を変えなかった理由を「吉田さんに勝つため。沙保里さんに勝ってオリンピックに行かないと意味がない。世界で一番強いという証が欲しかった」と明かした。

小学3年生からレスリングをはじめ、小学6年生で全国大会優勝。全国高校選手権では2連覇を達成するなど、まさにエリートだったが、同じ時代、同じ階級に吉田さんがいたことで、2人の人生は明暗を分けた。

吉田さんだけを意識してきたという松川さんは、「沙保里さんをいつもガン見していました」と明かし、当時のVTRを見ると、練習する吉田さんをじっくり見つめる松川さんの姿があった。

一方の吉田さんも、練習でも松川さんと真剣勝負で臨み、「当時はライバルだったので、ほとんど会話はしていないです」と振り返る。

あまりに吉田さんを意識していたことで、松川さんは「沙保里さんのことを思いすぎて好きだったのかもしれない」と告白。

その後、特訓を重ねた松川さんだったが、3度目のオリンピック挑戦も吉田さんに阻まれ、2012年に現役を引退。その時、松川さんは吉田さんに「沙保里さんがいたから、頑張れました」という感謝の気持ちを手紙で伝えたという。

すると、吉田さんからも返事があり、「まっちゃんがいたから私も頑張れたし、まっちゃんがいたからこそ五輪で連覇ができた」と最大のライバルへの気持ちが記されていた。

しかし、そんな松川さんは「今は結婚して子どもと一緒に過ごしています。もしかしたら、これだけは沙保里さんに勝っているかもしれないです」と微笑んだ。

スタジオでは、浜田さんから松川さんの存在について聞かれると「大きかったです。まっちゃんが出る前は、山本聖子さんがライバル。聖子さんの引退後は、まっちゃん。本当にバチバチでした。でも、ガン見されているとは思わなかった」と驚きを見せた。

引退後は松川さんとの仲は良好のようで、吉田さんは「結婚・出産、これで2つ負けていますね」と笑顔を見せた。

五輪代表入りに「複雑な気持ちだった」

1992年、バルセロナオリンピックの競泳女子200メートル平泳ぎ決勝で、14歳になったばかりの岩崎恭子さんが、競泳史上最年少で金メダルを獲るという偉業を成し遂げた。

この快挙に日本中が沸いたが、当時を振り返った岩崎さんは「代表になれたことは非常に嬉しかったですが、岩崎家としては喜べない。複雑でした」と語り、家族の絆を狂わせた代表入りだったと明かした。

岩崎恭子さん

岩崎さんが水泳と出会ったのは5歳の頃。小学2年生の時から水泳選手として才能を開花させ、小学6年生の時に全国大会で初優勝。中学に入ると、1年生で全国大会を制覇。

そんな輝かしい成績を持つ岩崎さんには、ずっと目標にしていた姉の存在があった。姉は、同じ平泳ぎの選手で、オリンピック出場への期待も高まっていた。

そして迎えた代表入りへの最終選考会。上位2名が代表権を得られる一発勝負の戦いで、姉妹は争うこととなった。

代表として期待される姉だったが、結果は全くのノーマークであった妹がオリンピックの切符を手に入れた。

「嬉しい気持ちと複雑な気持ちが入り交じって。選考会終わった後に、(姉が)泣きながら会場を後にして、お友達の肩を借りながら帰ったと聞いたので、複雑な気持ちになりました」

本人も信じられなかった大逆転劇。これが、岩崎家に変化をもたらした。

岩崎さんのコーチやチームメイトは祝福ムードだったが、家族の心境は複雑だった。選考後の夕食では、オリンピックへの切符を手に入れた妹への祝福ムードは一切なく、いつも通りの食卓。姉の気持ちを考えると、祝える空気ではなかったという。

それから、お互い練習で忙しい日々が続き、話し掛けるタイミングを見失ったまま、代表合宿へ出発する日を迎えたが、今から世界の晴れ舞台へ立つ娘に対し、両親はいつも通りの送り出し。複雑な思いのまま、出発しようとすると、姉から「頑張って!」と声を掛けられたという。思いがけない姉からの言葉に、岩崎さんは「モヤモヤが取れて、スッキリした」と明かした。

オリンピックの予選では、自己ベストを3秒30と大幅に更新し、9年ぶりの日本記録を塗り替え、決勝へ進出。決勝では、金メダルの最有力候補で、世界記録保持者の選手が隣に控えながらも、岩崎さんは見事に優勝。自己ベストを1秒13縮めたタイムで、予選を含めると1日で4秒43を更新。全くのノーマークだった無名の若手が、一躍スター選手となった瞬間だった。

「今まで生きてきた中で一番幸せです」という言葉が話題になったが、その裏に隠されていたのは、家族の危機を乗り越えた14歳の純粋な気持ちだったのだ。

岩崎さんはオリンピックの1年前から驚異的にタイムを縮めている。「すごく速くなっているという感覚はあったんですけど、オリンピックの前年も5秒くらい伸びているので、不思議じゃなかった」と語る岩崎さん。

武井壮さん

ゲストの武井壮さんは「僕は陸上で、タイムを競う競技として、0.1秒削るのにどれだけトレーニングが必要か感じています。大会で4秒伸びるなんて、違う人が泳いでいるくらいの差」と興奮気味に話した。

またゲストの中尾明慶さんは「ドーピングは疑われなかったのか」と質問すると、岩崎さんは「14歳だったので、薬は必要なかった。ビタミン剤くらいしか飲んでなかったので、グレイト!と言われて、褒められました」と明かした。


『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送