『15の夜』は実体験だった…今なお、若者の心を捉え続ける尾崎豊の生き様

  • 大人への反発を込めた『15の夜』 元は全く違う歌詞だった
  • 世間の熱狂に戸惑い…突然の音楽活動休止のワケ
  • なぜ、尾崎さんの曲は今でも若者の心を打つのか

今から27年前の4月25日、一人の男がこの世を去った。

10代の気持ちを代弁した歌詞と持ち前のカリスマ性で若者を熱狂させたロックシンガーの尾崎豊さん。

18歳でデビューして亡くなるまでの9年間で残した作品は71曲。

平成最後となる4月25日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系列)では、令和の時代にも歌い継ぎたい伝説のアーティスト・尾崎豊さんをピックアップ。彼の知られざる素顔に迫った。

ファンの聖地は渋谷に 

亡くなってから27年が経ってもなお、若者の心を捉え続ける尾崎さん。

それを示す場所が東京・渋谷に残されているということで、番組MCの坂上忍はその場所へ向かった。

坂上が訪れたのは、1994年の三回忌を機に建てられた「尾崎豊記念碑」。高校時代、尾崎さんの通学路だったこの場所は、今、ファンの聖地になっている。

この場所で目を引くのがレリーフだけではなく、壁一面に書かれたメッセージ。最近書かれたメッセージや今の若者が残したメッセージもあった。

大人への反発…『15の夜』で伝えたかったこと 

撮影:田島照久

そんな尾崎さんの、1983年、18歳の時に発売されたデビュー曲『15の夜』。

少年が大人に反発して家出をするというこの曲の歌詞は、中学校生活の実体験をもとに作られたという。

当時、一緒に家出をしたという同学年の親友松浦勝利さんは「まともに授業を受けている印象は全くないですね。でも、成績は良かったので、授業は聞いていたんでしょう。私はクラスが違ったんですけど、『教科書を忘れたから貸してよ』と言われて貸すんですけど、授業が終わって戻ってくると、全部落書きされているんです。あいつに貸すと、みんな落書きされて返ってくるんです」と懐かしそうに振り返った。

そして、『15の夜』誕生には、尾崎さんが激怒したという学校でのある出来事が深く関わっているという。

それは、学校での頭髪検査。
尾崎さんの友人は髪を短くして検査に臨むも、先生から髪の毛を切られてしまう。この一件を聞いた尾崎さんは激怒。その怒りは学校だけでなく、親へも向かい、ついに家出の計画を立てた。

1980年代当時、校内暴力やいじめが日本の大きな社会問題になっていた。若者たちは大人への不信感を抱き、尾崎さんもそんな気持ちを抱える若者の一人だった。

この頭髪検査の出来事が強烈に印象に残っていた尾崎さんは、デビュー曲のモチーフとして取り入れた。

そんな彼はデビューライブで、大人への思いについてこう語っている。

「僕が本当に心から、僕の同世代の人間に伝えたいのは、いろんな生き方があっていいと思う。周りの人間はいろんなことを言うかもしれない。また、俺の話になるけど、俺が高校をやめたってことで、親はずいぶん四苦八苦して、(雑誌とかで取り上げられて)『まぁ、おたくのお子さん高校やめちゃったの?』なんて言われると、『いえいえ、そんなことないです』なんてごまかしたり。
親って、大人って、そうやって臭いものにすぐ蓋をかぶせて、物事を分かった気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。もっと大切なことってあると思うんだ。それを俺たち若い連中がこれから作り上げていかなくちゃ、俺たち同じような大人になってしまうと思うんだ」

だが、この『15の夜』の歌詞は、実は、元は全く違うものだったという。そこで、坂上は尾崎さんを世に送り出し、亡くなるまで長きにわたり支えてきた音楽プロデューサーの須藤晃さんを訪ねた。

須藤さんは尾崎さんの遺族から依頼され、彼の私物を預かっているという。

それらが大切に保管されている倉庫へ行くと、尾崎さんが少年時代から書き溜めていたという創作ノートを見せてくれた。

「最初は『無免許で』という歌だった。無免許でバイクを乗り回して、酒を飲んでみたいな。僕はこの詞ではダメと言ったんです。つまり、“大人はこの詞のどこに共感したらいいんだ?”」と須藤さんは当時の尾崎さんに問いかけたという。

須藤さんが求めたものは「バイクで走る」といった行動だけではなく、心理を描けというもの。10代の若者には難しい注文だったかもしれないが、尾崎さんは予想もしない形で応えた。

須藤さんは創作ノートを見ながら「“自由になれた気がする”って書いてある。僕はここがいい、と言ったんです。“自由になっていない”ことを自分で自覚している感じが。つまり、“バイクを盗め”ということを歌っているわけではなく、“バイクを盗んだって自由になんかなれないんだよ”って、“自由ってそんなものじゃないんだよ”」と、尾崎さんがこの曲で伝えたかったことを明かした。

野外ライブでの“7メートルダイブ”が伝説に 

今でこそ尾崎さんの代表曲になっている「15の夜」だが、発売当初は全く売れなかった。

だが、デビューから8ヵ月後のある野外ライブでの出来事が、尾崎さんを一躍有名にした。

7メートルもある照明用のやぐらに登った尾崎さんは、そこからダイブし、左足を骨折する大けがをしてしまう。それでもなお、尾崎さんはスタッフの肩を借りて歌い続けたことが、以来、伝説として語り継がれた。

このとき、尾崎さんのバックバンドでギターを担当していた江口政祥さんは「お客さんに“盛り上がっていこうぜ”ということをやっていたんです。あの時、目が違ったんですね。あ!と思ったら、もう遅かったという感じです」と当時を振り返った。

坂上は尾崎さんの印象を「圧倒的なパワーを感じて、それが本気なのか演じているのか、狭間が分からないと感じています」と語ると、須藤さんは「演じている部分はあったと思いますが、そこにとりつかれたように虚構の尾崎豊みたいなものに支配されたと言いますか、そういう感じは間近にいて感じていました」と話す。

曲だけでなく、ライブパフォーマンスでも若者の心をわしづかみにした尾崎さん。その噂は瞬く間に広がり、いつしか「10代のカリスマ」という存在になっていった。

世間の評価と尾崎の心が乖離 

1985年3月にリリースしたセカンドアルバムはオリコン1位を記録。そこに収録されていたのが、今なお歌い継がれる名曲『卒業』。

19歳の若さで名実ともにトップミュージシャンの仲間入りを果たした尾崎さんだが、それから約10ヵ月後の人気絶頂のさなかに「無期限活動中止」を発表した。

なぜ、尾崎さんは音楽活動の休止を決めたのか?

その背景を須藤さんは「彼が常々言っていたのは、『俺はすごく個人的なことを歌っているのに、何でみんなを扇動しているみたいに言われるのだろう』と。彼が出て行くと、両手を合わせながら拝み倒すような雰囲気になっていたことに戸惑っていました。音楽をやっていることが楽しくなくなってきたんじゃないですかね」と語った。

当時のマスコミは尾崎さんのことを“教祖”や“救世主”と評して、多くのファンが深く心酔していたが、こうした状況に本人は戸惑っていたという。

また、尾崎さんのバックバンドでドラムを担当していた吉浦芳一さんは「19、20歳の年齢になって、『15の夜』をいつまでも歌うのは歌いづらいと言っていた」と言い、ギターを担当していた江口さんは「悩んでいる姿は俺たちには見せなかったけれど、それはヒシヒシと分かりますよね」と明かした。

デビュー以来、大人たちへの反発を歌ってきた尾崎さんだが、年齢を重ねて社会的な成功を収めるうちに、自らの歌の世界に矛盾を感じるようになってきたという。

ある日、尾崎さんは須藤さんに「俺は次に何を歌えば良いの?」と問いかけたという。悩み苦しんだ尾崎さんは新たな刺激を求めて単身ニューヨークへ渡るも、半年で帰国。そして1987年12月、尾崎さんは覚醒剤事件で逮捕される。

結果として多くのファンを裏切ってしまった尾崎さん。しかし、釈放された尾崎さんは、人生でたった一度きりのテレビへの生出演を決意。

『夜のヒットスタジオ』(1988年6月22日放送)より

1988年6月22日の『夜のヒットスタジオ』に生出演した尾崎さんは「ご心配をおかけしました」と騒動を謝罪し、「僕の素直な気持ちを曲にして、これからずっと歌っていきたいと思っています」と、拘置所の中で歌詞を書き上げた魂の一曲『太陽の破片』を披露した。

『夜のヒットスタジオ』(1988年6月22日放送)より

復活への道を歩き続けたさなかで… 

それから3ヵ月後、尾崎さんは東京ドームで行った復活ライブで大成功を収めると、5枚目のアルバム『誕生』もオリコン1位を記録するなど、一歩一歩、完全復活の道を歩き始めていた。

そして、25歳になった1991年には名曲『I LOVE YOU』がCMへ使われ大反響を呼ぶ。シングルが発売されると生前最大のヒットとなり、見事完全復活を果たした。

しかし、1992年4月25日、自宅近くで倒れているところを発見され、一度自宅に帰ったが容態が急変し、尾崎さんは亡くなってしまう。享年26歳、死因は肺水腫だった。

追悼式には約4万人のファンが参列し、尾崎さんとの別れを惜しんだ。

しかし、尾崎さんの人気は衰えることなく、1994年1月には『OH MY LITTLE GIRL』がドラマの主題歌に起用され、それを機に発売されたシングルでは彼の死から1年9ヵ月経っているにも関わらず、ミリオンセラーとなった。

番組では、デビュー前の17歳の尾崎さんが歌う『OH MY LITTLE GIRL』のデモテープ音源を公開。サビの「OH MY LITTLE GIRL」が「となりのLittle Girl」になっているなど、世の中に出ている歌詞とはまた違う歌詞に、坂上は驚きを隠せないでいた。

あれから27年、今では尾崎さんの長男・尾崎裕哉さんが、父親でもあり、ファンの一人でもある尾崎さんの曲を歌い続けている。

長男・尾崎裕哉さん

なぜ、尾崎さんの曲は若者の心を打つのか。

須藤さんは「彼が遺してきたものは、本当は尾崎豊的な、個人的な思いを歌っているんですけど、全員に思い当たることばかりなんですよ」と、尾崎さんの個人的な思いは若者が共感するものだったと話す。

また、江口さんは「フォークの時代から反社会的なことや、メッセージソングは僕らよりももっと昔にあったけれど、それを若者にとても分かりやすく伝えた“最後のアーティスト”だからなんじゃないかと僕は思います」と明かした。

さらに尾崎さんから多大な影響を受けたというコブクロ・黒田俊介さんは「一曲で終わってしまうような刹那的な感じ。一瞬で全てが燃え尽きてしまうようなエネルギー。尾崎さんの一番すごいところかなと思いました。ああいったエネルギーを持った人は名前を残している。同じ時代に重なって見られたのは幸せやなと思います」と語った。

そんな尾崎さんの生き様に坂上は「尾崎豊というアーティストなのか、一人の人間なのか、カリスマなのか、成功者なのか、犠牲者なのか、何なんですかね?」と感慨深げに問うと、須藤さんは「全てが当てはまりますよね。いまだにこれだけ、みんなが興味を持ってくれる存在だからそれはよかったと思います」と話した。

誰よりも鮮烈に、その短い一生を駆け抜けた尾崎さん。彼の遺した数々の名曲は、これからも若者の心を震わせ続けるだろう。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)