“福田和子”事件いま明かされる“取調室”での攻防!

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  • 平成の歴史に残る「福田和子」事件の、取調室での“攻防”が今明らかに…
  • 独自入手!「福田和子」が似顔絵に直筆で書き込んだ言葉とは…?
  • 時効が迫る中、浮上した「共犯者」の存在…しかしその「共犯者」は既に死亡していた…

“福田和子”事件 警察との知られざる攻防

平成9年7月、報道陣が押し寄せるカメラの先にいた福田和子元受刑者。

逮捕された福田元受刑者は福井から愛媛へ移送された。この時、松山東警察署で迎え受けたのが当時刑事一課長だった中井邦彦氏。長年追い続けた容疑者と初めて顔をあわせた瞬間だ。

中井邦彦氏:
わたしを見て「あ、あなたテレビで見たことあるわ」と、そのくらいの余裕が向こうにはありました。腹の据わりようは半端じゃなかったですね…

警察が福田元受刑者の整形15年後を想像して作成した似顔絵と逮捕されたときの顔を比べると…

取調室でこれを見た福田元受刑者は似顔絵の紙に「私にそっくりです。福田和子」と自ら似顔絵の描かれた紙に書き入れた。

1982年8月19日、福田和子元受刑者は同僚のホステス安岡厚子さん(当時31)の首を絞めて殺害。被害者の部屋から家具や衣類を奪い、夫に手伝わせて遺体を愛媛県松山市の山中に埋めたとみられていた。

警察は強盗殺人の容疑で福田和子元受刑者を全国に指名手配。しかし、この時すでに15年の逃亡劇は始まっていた。逃亡後、福田元受刑者が向かったのは石川県金沢市。偽名を使ってスナックで働き始め、捜査の手を逃れるため顔を整形。

整形前と整形後の福田元受刑者

鼻筋が通り目も二重になり雰囲気が変わっている。このころ福田元受刑者が知人にかけた電話では…

福田元受刑者の電話音声:
楽しみにしとるんでしょうが…私が捕まるのを。そんなドジはしない。切るよ、あぶないあぶない…

福田元受刑者はその後、石川県内の和菓子店で内縁の妻におさまり、まったくの別人となって生活。捜査の手が伸びた際にも間一髪で逃走し1988年を最後に足取りが途絶えてしまう。

全国初の懸賞金100万円

15年の時効まであと1年に迫った1996年、愛媛県警は勝負に打って出た。逮捕につながる情報に全国で初めて100万円の懸賞金をかけた。全国放送のテレビで次々と取り上げられメディアを使った警察の包囲網がじわじわと迫る。

松山東警察署 中井邦彦刑事一課長(当時):
多くの先輩たちが身柄をとれなかった被疑者ですから何とかこの逮捕状を執行したい

時効まで21日に迫った平成9年7月29日。当時、福田元受刑者が行きつけにしていた福井市内のおでん屋からの通報で逮捕。決め手となったのはテレビで放送された「あの声」だった。

中井邦彦氏:
テレビで「あぶないあぶない」というテープが全国で流れてましたけど、あの声でやっぱり間違いないと福井の方もそう確信を持ったみたいですね

しかし、本当の闘いはここからで残された21日間に強盗殺人の容疑を固めて起訴しなければ時効が成立してしまう。

今明かされる時効までの21日間の攻防

取り調べであいまいな供述を繰り返す福田元受刑者。そこで口にしたのは“共犯者”の存在だった。
中井邦彦氏:
この殺人は私がしたんじゃないんだ。ある男が一緒に行って事件をやった。後の死体処理についてはその男に迷惑をかけたので自分で旦那と処置はしましたが、殺人は自分ではない…という供述をした訳なんです

しかし、「共犯」とされた男性は、すでに死亡しており、15年前の“アリバイ”を直接確認することは不可能だった。時効まで残された時間はわずか6日。この6日の間に「共犯説」が嘘だと立証できなければ、起訴できずに時効が成立してしまう可能性があった。

中井邦彦氏:
当時、検察の方もこのままでは起訴は難しいよ…と。ですから、その男を洗い出して、その事件当時に松山に居なかったというアリバイ証明をしてくれと…それがなかったら起訴は難しいということになります…と言われた…

警察は共犯者とされた男性の親族に確認を取るが、15年前の8月19日に男性が何をしていたかなど覚えているはずもなかった。

アリバイにつながる情報はないか…何度も関係者に当たる中で、ある1つの手掛かりにたどり着いた。

中井邦彦氏:
本人が残しておいた数年分の日記が出てきたんですよ…親族のところから。
男性が勤めていた会社の関係者、その当時働いていた人、いろいろと当たりましてその日記に書かれている内容を補強する形で、数少ない証拠を全部寄せ集めました。その結果、男性が事件当時に東京に居たと…愛媛には帰っていない、まして松山にはいないということ事が証明が取れました。

中井邦彦氏:
ですから、もうギリギリのところですね…。自供が一日前とか、何時間前とかだったら、もう起訴は難しかったんじゃないかと思います。

執念の捜査によって立証された15年前のアリバイ。福田元受刑者の「共犯説」が崩れたのは、時効までわずか数日という、ギリギリのタイミングだった。

Q:男のアリバイを証明した時の福田元受刑者の様子は?

中井邦彦氏:
黙っておりましたね。びっくりするような“タマ”じゃないんです。ウソがばれたからと言ってね…


そして、平成9年8月19日、時効成立の11時間前に「強盗殺人罪」で起訴。
福田元受刑者はその後の裁判で無期懲役が言い渡され平成17年、刑務所に服役中に57歳で病死した。

全国初の懸賞金に電話音声の公開…警察の執念が実ったこの事件は平成という時代とともに、警察の捜査にも大きな変化をもたらしたという。

中井邦彦氏:
公開捜査の関係は、だいぶん飛躍したような気がしますね。昔のように、“刑事の足で解決せよ”という時代から言うと、ずいぶん様変わりしたと思います。今でも、刑事の緻密な感覚と足は捜査の基本だと思っておりますけれども…

平成の事件簿に残る“福田和子”という名前は、時代が変わっても多くの人々の記憶に刻まれ続けるだろう。
(テレビ愛媛)

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